画家からの書簡

画家から加藤版画研究所に届いた書簡をご紹介します。
※すべて、未公開資料。

梅原龍三郎
校正刷拝見 御返事遅れてすみません。
小さき方ハ大変結構です。殆どあのままでもよい様です。
大きな方(立つ裸婦)ハ、黄色の版を作りかへたらどーにかなるかと思い、また帰京の上、墨刷り二三枚もちい黄色の下絵をかいて見てもよろしく考へます。

(昭和12年8月28日付書簡より)

石井柏亭
拝復 いつぞや光来の折りは失礼。木版の版下は今は多忙にて執筆の暇を得ません。此月末から八月一ぱいを満州に暮らしますので、それから帰って秋のころになります。

(昭和13年7月17日付葉書)

中川紀元
前略御免 突然乍ら、版画家 加藤潤二氏を御紹介申上げます。小生年来別懇の方です。どうぞよろしくおねがいいたします。

(昭和15年頃 山口逢春 宛紹介状)

東郷青児
油絵遅れて申訳ありませんでした。やっと出来上りましたから御来訪下さい。六号と八号と二枚同じものを描いて置きました。「少女四季」の表紙できましたか。御来訪の時、一寸電話下さい。六日は一日在宅。

(昭和16年2月5日付葉書)

川瀬巴水
拝復 さる五月、たぶん罹災なされた事と存じました。一度御たずねのはがきを出しましたが、御返事がないので、どふなった事かと心配しておりました。
相当永いと思っておりました戦争も妙な終決をつげて、御同様ヒヨロポネがぬけた様な気持ちです。
然しわれわれの仕事はよふやく前途が見えて来たよふです。大イにケンドジウライの意気で戦ふつもりです。

(昭和20年9月11日付書簡より)

坂本繁二郎
当市八女市にて、市を中心とする風土と歴史の調査書が計画され、それに添へられるものとして以前に御製版をお願いしました拙作阿蘇五景の内の一枚噴火口の版画を希望され、この再版御願いできますかどうかを小生より御都合御伺いして呉れとの申出を受けました。来春早々に右書物は出版の予定でありますが、今年内に出来ますか否か 御伺いして呉れとの申出であります。
此旨実は去る十月二十八日付けにて御伺い申し上げましたのですが、未だに御返事を得られずに居ます。念の為重ねてお願い申し上げます。何卒右につき御返事頂けますれば幸甚であります。

(昭和36年11月4日付書簡より)

岡鹿之助
残暑御見舞申し上げます。だいぶ猛烈なお暑さのように聞及びますが、お障りもなく御元気に秋をお迎えのことと存じます。このたびは、珍しいおいしいもの航空便で御恵送いただきまことに痛み入りました。日本の友人たち集まって賞味いたす所存。あつく御礼を申上げます。パリはこの数日急に冷々として皆は外套を取出すしまつ。大陸の気紛れな気候には面喰います。パリにて

(昭和44年8月25日付葉書)

東山魁夷
欝陶しい毎日が続いておりますが、御健勝にてお過ごしの事と存じます。この度画集「四季」の出版に際しましては一方ならぬお世話に相成り誠に有難うございました。丹念なお仕事による版画が揃いましたことで、画集が充実し、求められる方々からたいへん喜ばれて居ります。

(昭和49年7月16日付書簡より)

牛島憲之
昨年の春、加藤版画研究所の加藤さんから、私の絵を木版画に創らせてはくれないか、とのお話しがありました。ところが版画については、若い頃より興味と関心は持っておりましたものの、何の知識もなく、私の作品がどのように仕上げられるのか、見当もつけられませんでした。そこで参考にと持参下さったこれまで同所で創作の、梅原、坂本先生をはじめ、熊谷、夢二など諸先輩の作品を拝見致しました。いろいろと見ておりますうちに、版画の楽しい雰囲気につりこまれ、一層の興味を煽られました。
それではと、試験的に一枚創っていただくやうにとお願いしました。さてどんなものが出来上るのか、どのように版画の味を生かしてくれるのか、原画の複製じゃつまらないなどと 思いめぐらせながら、秘かに期待しておりました。そして約三ケ月経ち、試し刷を見せて貰いました。私の拙い絵がこんなにも素晴しい版画として、別の世界に再び生かされるのかと本当に叱驚しました。ますます興味を抱かされ、制作の過程も是非知りたく、ある一日加藤さんの工房を訪れ、仕事の現場で、創作版画とは如何なるものか、どのやうにして造られるのか、いろいろと教えていただきました。
先ず版木と紙の選択、彫りの部分構成、絵具の取合せ、ついで色分け、摺師のバレンの手加減など、この道二十余年に及ぶベテランの仕事ぶりを拝見して、その尊い経験と苦心と努力に頭の下がる思ひが致しました。古来より木版画とは絵師、彫師、摺師と、三者の綜合芸術であると云われておりますが、近代版画に於ては特に、色分けが作品の良否を左右する貴重な蔭の存在であることもよく判りました。また一面、版下が如何に重要であり、デッサンの一線一劃がどんなに大切であるか、泌々考へさせられました。
かくして一年有余、幾度も校正を重ねて、漸く第一輯六点が完成いたしました。幸いにも版元をはじめ、人間国宝の彫師、摺師にめぐまれ、お蔭で見事な作品に仕上げていただきました。まことに楽しくうれしく存じます。

(昭和45年9月 毎日新聞原稿より)