『加藤版画研究所 あんない』

(昭和十二年刊行)より

版画的効果の問題

版画とは文字通り版による絵画であり、したがってその出来上がった版画には版画的効果が要求されるのである。もし版画の良し悪しを一言で申すなら、この版画的な効果の問題に尽きると申すべきである。現在、画家自身が自刻自摺の版画と、画家、刻師、摺師の三者よりなる総合芸術的なる版画と、その中間を行く版画というような製作様式がある。ただし自刻自摺版画と三者総合の何れがよろしいという事はなく、出来上がった版画が刻も摺も申し分なく、そうして版画でなくば表現でき得ぬ内容を有していればそれを正しい版画と申すべきである。我が国の浮世絵版画の相当数量が重要美術に指定されたり、また世界に日本を代表せる美術の如く喧伝されて居るも、これら浮世絵版画の有する最も単純な印刷技法の内にも、版画以外の何物からも味得出来ぬ深い三昧境の存する所以である。肉筆画のような、木版で百度二百度と摺った者などは絶対に版画とは申せない、原色版でもオフセット印刷でもできる物を木版で印刷したに過ぎない物で、勿論版画的な将来性などは微塵もない訳である。(将来、昭和時代のオリジナル版画として全然 無価値 なる意)以上は版画を正しく認識する上においても、また版画を鑑賞する場合にも非常に大切な事である。

加藤版画研究所の仕事

正しい版画(前に述べたる事)を広く世の人々に鑑賞して頂きたい、良い作品をできるだけ多く将来に残したい、これは自分に与えられた終生の事業である。元より営業には相違なく、絶対に利益を欲しないという訳ではないが、百枚や百五十枚の限定出版にて、しかも良心的作品を目的の、版画出版事業というものは仲々経済的精神的な困難が伴うのであって、商業主義を無視して掛からねば出来る仕事ではないのである。売れる売れないは二の次で、まず良い版画を作ることが先決である。これは何時も自分が版画の出版監督に当たっての感懐である。(昭和十二年刊行 『加藤版画研究所 あんない』より抜粋)